早すぎたかと思った介護離職の決断が実はそうでもなかったお話

私が介護離職に踏み切ったのは、父がパーキンソン病と診断されたのがきっかけでした。
幸いなことに寿命に影響がある訳ではないのですが、今後だんだんと体の自由がきかなくなってくるとか。
言われてみれば、何でもないところでコケて壁に大穴あけるくらい頭を打ち付けて死にかけたりしたこともあったので、「あぁ、これが原因だったのか」と合点がいった次第です。
残念ながら私の仕事が、急に休んだりすると周囲に迷惑をかけてしまうことが多かった仕事だったこともあり、いろいろあって介護離職を選択しました。

それが23年の7月末なんで、もう5か月経過。6か月目に突入。
なんか急激に加速する父の老人力に戸惑っているだけで、アッという間に過ぎ去ってしまった感じですなぁ。

実際、辞めた時点では「だいぶ早かったかな」というのが正直な感覚だったんですよ。
確かに体は動かしづらくなっていましたが、日常生活で必要なことはひとりで何でもできてましたし。
なので私も「まぁ、様子を見ながらしばらくゆっくりして、在宅でできる仕事をそのうち考えていけばいいか」くらい、のんびりしたものでした。

その流れが急に変わったのは、昨年の猛暑だったんじゃないかと今は思っています。

ほら、高齢者って骨折とかやらかすと、とたんにボケるとか言うじゃないですか。
我が家の場合は、それが「夏バテ」だった気がするんですよね。
昨年の夏、父は口を開けば「食欲がない」「力が入らない」「なにもやる気がしない」みたいな感じになってたんですよ。
「この暑さだから食欲がわかないのも仕方ないよ」
「そりゃまともに食べてないんだから力も入らないでしょ」
「寝ている間もちゃんとクーラー使いなよ。睡眠不足でしょ」
とか軽く対応してたら、活動量が一気に落ちたせいでしょうか。
そのころから急激に、これまでやってきた日常的なことをやらなくなったし、やろうとしてもできないことが増えてきてしまいました。
で、そのやらなくなった「日常的なこと」に、「パーキンソン病の薬をちゃんと飲む」ってのも含まれてしまっていたんじゃないかと*1
だとしたら、いきなり病状が悪化したのも納得がいくのかなって感じです。

そのせいかわずか5か月で3回も救急車を呼ぶ羽目になりましたし、3回目には3週間の入院が必要になるケガまで負ってしまうことに。

そう考えると離職が早すぎたってことはなかったかもですね。
実際3回目の時、私が普通に会社いっていたらどうなっていたことか。
下手したら帰宅後に死体を発見していたことになってたかもです。

まぁ、そんなこんなで目の前の日常に振り回されているうちに昨年が終わってしまいましたが、今年はうまい具合に折り合いをつけて、父子ふたりでちゃんと生活できるようにしたいもんです。

*1:最近、お医者さんからもらった薬をちゃんと飲めるよう私が振り分けているのですが、古い薬がだいぶ余っているのを発見してしまいました…。